このページの情報は 2006年1月21日13時23分 時点のものです。 |
「千と千尋の神隠し」 言霊文化=日本文化 「千尋」は自分の名前を奪われて、「千」という名前をつけられる。名前を
変えることで相手に完全に支配されるという。 あるいは湯屋で、「いやだ」「帰りたい」と一言でも口にしたら、魔女はた
ちまち千尋を放り出して動物に変えてしまうという。逆に、「ここで働く」と 千尋が言葉を発すれば、魔女といえども無視することができない。 なぜ、「名前」や「言葉」が大切なのだろうか。この不思議な世界の、不思
議な約束ごとが、映画に極めて重要なリアリティを与えるとともに、テーマ性 も表している。 「言葉」に出すだけで、それが現実化する。それを「言霊」という。日本は
古くから言霊文化である。例えば、神社でお払いをするが、なにをするかという と「払いたまえ」とい祝詞(のりと)を発する、すなわち「穢れが払われます ように」と言語化するだけで実際に穢れが払われてしまう。それが「言霊」で ある。 平安時代の貴族が「国家平安」の和歌を詠んでいたのは、「国家が平安た
れ」と言語化するだけでそうなると信じていたからである。こうした言霊文化 は、現代日本にも脈々と受け継がれている。たとえば、受験生に向かって「落 ちる」とか「すべる」という言葉を言わないようにするというのも、「言霊」 文化あっての風習である。 『千と千尋』の不思議世界は、日本の神々が集まる世界である。それは昔なが
らの日本家屋であったり、日本ならではの自然であったりという映像的な部分 で描かれていることは、誰の目にも明らかであろうが、精神的な意味での日本 性を現しているのが、この「言霊」に関する描写なのである。 言霊文化においては、「名前」は「存在」そのものである。すなわち、名前
を奪われるというのは、自分の存在を奪われることに等しい。もし、『千と千 尋』の「名前」と「言葉」に対する奇妙な約束に違和感を感じた人がいたとし たら、「言霊」についての造詣をもう少し深めて欲しい。 『千と千尋』のテーマの一つは、現代社会に埋もれた日本の良さの再発見で
ある。都会の少女が、田舎にやって来るという意味。日本に「は昔ながらの豊 かな自然がまだ残っているよ」そして、その自然には神々が宿っているかも、 と思わせるほど豊かなのである。 『となりのトトロ』では、日本文化の良さが「懐古」という後ろ向きのベク
トルで描かれている。しかし、『千と千尋』では、再発見という前向きの視点 で描いているところを大きく評価したいと思う。
「言霊(コトダマ)の国」解体新書
日本が言霊の国である、ということを知らない人は、まず本書から読むといい。「知らない人」というのは、興味があるのに知らない、というより、知らない日本人は全員知っておくべきだ、という意味において。小学校の教科書にしてもいいくらいだ。
我々の日常がいかに言霊に縛られているかを知らしめる本である。この見えざる敵のためにどんなにか多くのものをこの国は失ってきたことか。 |
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