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ソウ完全解読

 

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■2  映画の文法 
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  映画には無限の答がある
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 「エイゴの文法」と「エイガの文法」。
 一番違うのは、どこでしょうか?

 「英語の文法」では答は一つしかありませんが、「映画の文法」では答
が無限にあるという点です。
 
 読者から次のようなメールをいただきました。

>アダムがジグソウの共犯者だという説は本当なのですか?
>あなたの推測ですか?
>確かに共犯者説は考えられます。が僕が上げた点を考えるとおかしいか
>なとも思います。
>このメールが読まれるかどうかは分かりませんし、実際「ソウ」はとて
もおもしろかったです。
>だからこそ、真実が知りたいです。

 映画の解釈に100%正しい解釈などあるはずがありません。
 当然、「真実」もありません。
 なぜでしょうか?

 例えば、絵画を例に挙げてみましょう。 
 レオナルド・ダビンチの名画モナリザです。
 モナリザの解釈に、100%正しい解釈って、ありえるでしょうか?
 
 絵画の楽しみは、見た人が自由に解釈すれば良い。
 その絵から、何かを感じ取れば良い。
 そう、思うでしょう。

 モナリザのモデルは誰かという説があります。
 一般には、フィレンツェの名門ジョコンダ家の妻リザ婦人とされてます。
 しかし、「モナリザ」は、ダビンチの母親である。
 あるいは、ダビンチ本人の自画像である、という説もあります(コンピ
ューターで自画像と合成するとピッタリと重なるので)。
 たった一枚の絵でも、このように何通りもの解釈が成り立ちます。

 映画は、「絵」の連続です。
 フィルムの一コマ、一コマは、普通の静止した写真と同じですから。
 一本の映画は、普通1000〜3000カットからなりたちます。
 一つの「絵」、一カットに対して、三通りの解釈がなりたつとすれば、
映画全体では論理的には少なくとも3の1000乗通りの解釈が成り立つこと
になります。
 これは、無量大数を超えています。すなわち、ほとんど無限です。
 映画とは、無限の解釈が成り立つものなりです。

 映画には「セリフ」という言語によって道標とヒントがついてはいるも
のの、一番重要な構成要素は「絵」です。ですから、「絵」を解釈すると
いうこと自体が、無限の解釈を生むことにつながるわけです。
 だから、観客一人ごとに違った解釈で出るのは当然です。
 
 私が示した「完全解読」は、私が考えた解読です。私の意見です。
 全く個人的な意見なのです。
 だから、「100%正しい」ということは、100%ありえません。
 だいたいにおいて、一つの「正しい答」というものはないわけですから、
「その解釈は正しいのか?」と問うこと自体どうでしょう。
 
 映画で提示される問題は、数学の問題とは違うのです。

 

まとめて読みたい方は、読みやすいPDF版
「ソウ完全解読」をこちらからダウンロードしてください。


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