おもひでぽろぽろ
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人気ランキング : 位
定価 : ¥ 13,048
販売元 : 徳間ジャパンコミュニケーションズ
発売日 : 1992-01-01 |
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花摘み乙女 |
アメリカで生まれ3年間過ごし、その後東京の下町で育ち、いまは川ひとつへだてた千葉県に住んでいるが、里山のようないわゆる「いなか」と呼ばれるふるさとを知らないのはわたしも同じだ。
昭和41年当時の東京の風景(映画の中では練馬区でしたね、日大の芸術学部が近くにあるみたいだったから江古田あたりかな)などもちろん知らないが、それでも板塀に囲まれた狭い路地とか、夕方の商店街に母と一緒に買い物に行ったことなどはいまでもよく覚えているし、あの風景はわたしが子どものときにもまだあちこちに残っていたように思う。その後全国を襲ったバブル経済の地上げ攻勢に遭って、愛する下町も無惨な情況になってしまったが。
前半、ちびまる子ちゃんみたいな映画なのかと思ってほんわかムードで見ていたら、物語が山形に飛んでいってからはぐいぐいと引き込まれてしまった。有機栽培に情熱を燃やす青年が語る、日本の農業の問題点だとか、夏の農村風景の美しい描写や、紅花摘みをして紅を作り出すまでの過程とか、いままで知らずに過ごしていたことがたくさんたくさん出てきて、もう目が離せなかった。紅花に鋭いトゲがあることも知らなかった。むかしの女性が手を血だらけにしながら摘んでたことなど知る由もなかった。ただ京紅の美しさだけを見ていた。いなかの風景は人が自然に手を加え、自然と折り合いをつけながら人工的に作り上げたものだということにも気づかなかった。山も林も森も田んぼも小川も人が長い時間をかけて作り出したものなのに、いなかの風景は自然そのものだと思っていた。わたしはなにひとつ知らなかった。恥ずかしい。
夏の里山の美しさだけを見て、一年の大半を雪に閉ざされて暮らさねばならないことを見ていないわたしたち都会育ちの人間は、いいところだけしか見ようとしないずるい人間なのかもしれない。わたしは東京が好き。生まれ育った下町が好き。路地とちいさな児童公園でしか遊んだことがないけど、ちいさなわたしにとって東京は広くて大きな世界だった。こんなにたくさんの人がひしめいているなんてことは、大きくなってからわかったことだ。
わたしにはこの映画のヒロインのように山形で暮らしていく自信はないが、ラストシーンには感激して、また涙が出てしかたなかった。なぜ涙が出るほどうれしいのだろう。自分の生き方と信頼できるパートナーを得た彼女がうらやましいのだろうか。よくわからない。わたしにはまだ結婚なんて考えられない。仕事もしていない。将来、どういう道に進むのかもよくわかっていない。でも、どうしてだろう、彼女のような生き方がとてもうらやましく思えるのは。